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Select Days,Good Life

身近なファッション、グッズなど男心をくすぐるお気に入りのアイテム紹介&好きな音楽の話です。

AOR覚書 〜ソロ・アーティスト編 PART 2 

1980年代に入ると、日本ではAORの人気はさらに膨れ上がっていきました。僕はとい

えば、当時青春真っ只中の高校生。大阪に住んでいましたので、大阪といえば若者のファッ

ションやアート、ミュージック・カルチャーの中心がアメリカ村で、そこに行けばサーファ

ーやその他もろもろの遊び人が集まっていたんですね。アメ村の雑貨屋、古着屋、カフェ・

バーなどいろんなスポットで流れてくるBGMはAOR。ラジオステーションもあって頻繁

に流されていたのはディック・セント・ニクラウスとかね。新しいモン好きの気質というか、

山下達郎の「ボンバー」が70年代後半にここから火が点いたんですよね。


AORを二つに分けると、ウェスト・コースト、イースト・コーストというグラウンドに分か

れますが、温かで、開放的で爽やかなサウンド・メイキングと、都会の片隅にひっそりとたた

ずむ静けさ、クールさとかそんなニュアンスに分かれるんですが、どちらもAORミュージッ

クなんですからね。そこにブラック・コンテンポラリーとかソウルっぽいのも加わるとAOR

って不思議な音楽だな〜とつくづく思います。僕にとってAORは音楽として楽しめる、それ

でいて一種のヒーリング・ミュージックみたいなものでしょうか。


○ デビッド・フォスター 「The Best Of Me 」(83年)AOR界を牽引した名ソングラ

イターというかプロデューサーというか、もはやその域を超えた現代音楽家ですね。アース、

ウィンド&ファイヤーの「After The Love Has Gone」やシカゴの「Hard to Say I'm Sorry」

など名曲を生み出してきました。80年に自らエアプレイを結成、名盤「Romantic」も最高です

。(マイブログ:Airplay 「Romantic」参照)


○ レイ・ケネディ 「Ray Kennedy」(80年)デビッド・フォスターのプロデュース作、

ビル・チャンプリンやエアプレイのトミー・ファンダーバークが参加しています。八神純子の

「パープルタウン」の元歌を作った人です。


○ メリサ・マンチェスター 「Don't Cry Out Loud 」(78年)この人をAORに入れるのは

どうかと思いますが、リタ・クーリッジとかカーリー・サイモンとかソフト・サウンディング・

フィメール・ボーカルの流れで活躍した人です。表題曲の「Don't Cry Out Loud」邦題:「あなた

しか見えない」は切なくてメロウです。


○ マイケル・マクドナルド 「If Thats What It Takes」(82年)ドゥービー・ブラザーズ脱

退後のソロアルバム。ケニー・ロギンスがソングライターとして参加、「 I Keep Forgettin' (Eve

ry Time You're Near)」が名曲です。


○ ディック・セント・ニクラウス 「Magic」(79年)こちらは我が故郷・大阪が生んだAOR

のミュージシャンです。というのは当時大阪を中心にラジオやディスコで頻繁にこの曲がかけられ、

全国エリアに拡大していきました。後に「オオサカ・ムーン」(80年)といううれしいタイトルの

曲も発表しました。残念ながら、海外では評価されていない人ですね。


○ ポール・デイヴィス 「Cool Night」(81年)ソフトに聴き手を包み込む美しいボーカルのポ

ール・デイヴィス。この曲も日本でヒットしました。


○ アルバート・ハモンド 「Your World And My World」(81年)この人はイギリスのシンガー・

ソングライターで72年に「t Never Rains In Southern California」(カリフォルニアの青い空)

のヒット作があります。見事にAORを感じさせるアルバムで復活ということで。


○ マーティ・バリン 「Balin」(81年)元ジェファーソン・エアプレインのメンバーで、ソロと

してシングルカットされた「Hearts」邦題:「ハート悲しく」がヒット、日本では稲垣潤一がカバーし

ていました。


○ ルパート・ホルムズ 「Partners In Crime」(79年)うーん、イースト・コーストAORサウン

ドとしての名盤ですね、これは。シングルカットされた「Escape」が全米No.1の大ヒット、同アルバム

に収録されている「Him」もチャートインしました。都会的洗練サウンドの珠玉の一枚です。ルパート・

ホルムズは78年にも「Pursuit Of Happiness」(浪漫)という傑作アルバムも発表しています。





○ エイドリアン・ガーヴィッツ イギリスはロンドン出身のこの人、もともとのキャリアはロック・ギ

タリストなんですが、79年からAOR作品を発表、TOTOのメンバーが参加した「Sweet Vendetta」

(79年)、「Il Assassino」(80年)に収録された「Seventeen」は日本でもヒット作となりました。


○ ランディ・ヴァンウォーマー 「Warmer」(80年)邦題、「アメリカン・モーニング」ですね。一発

屋の感はありますが、この曲は癒されますね。カントリー・テイストのミュージシャンでした。


○ ケニー・ランキン 「The Kenny Rankin Album」(77年)彼の音楽世界も僕にとってはヒーリング・

ミュージック。暖かく包み込んでくれる優しいボーカルが特徴です。74年「Silver Morning」も名盤です。

昔、ケニー・ランキン聴いてるというとマニアックとか言われました。


○ ケニー・ノーラン ファーストアルバムだったと思いますが、シングルカットされた「I Like Dreamin'」

(77年)が全米3位の大ヒットで、非常にAORを感じさせる楽曲です。甘い歌声、甘いマスクのこの人は

優れたソングライターでもあります。フランキー・ヴァリが歌ったことでも有名な「My Eyes Adored You 」は

この人の曲ですね。「I Like Dreamin'」はフランキー・ヴァリでお馴染みのチャーリー・カレロがプロデュース

を手がけています。





○ ケニー・ロギンス 「Keep the Fire」(79年)あのフットルースがヒットする前に、マイケル・マクド

ナルドとの共作で、ドゥービー・ブラザーズの「What a fool beleves」を生みだしました。もともとはジム・

メッシーナと組んだロギンス&メッシーナでデビュー、ソフト・サウンディングという意味ではこのグループ

がAOR寄りですね。

○ ジム・メッシーナ 「Oasis」(79年)ウェストコースト・サウンドといったらこの人ですね。ケニー・

ロギンスと組む前はバッファロー・スプリングフィールドのブレーンとして加わり、ポコにも在籍していました。


○ スティーブン・ビショップ 「Bish」(78年)この人もメロディアスな楽曲がお得意のシンガーソングラ

イター。1976年のファースト「Careless」もいいですね。アコースティック系というだけでなぜかAORと

か言われてしまうようですが。僕はスティーブン・ビショップというと、何といってもファーストアルバムから

の「On And On」が好きですね。





○ ピーター・アレン 「Bi-Coastal」(80年)残念ながら、92年にエイズによって亡くなったオーストラ

リア出身のシンガー・ソングライターですね。クリストファー・クロスの「arther's Theme」の作曲にも関わっ

ていました。このアルバムのプロデュースはD・フォスターですからね、やはりAORです。


○ バーティ・ヒギンズ 「Casablanca」(82年)日本でも郷ひろみがカバーして売れましたね。僕としては

同アルバムに収録されている「key Largo」ですかね。一発屋だけどインパクトありました。


○ フィービー・スノウ 「Phoebe Snow」(74年)アコーステック系黒人女性ミュージシャンならこの人です。

シングル「Poetry Man」が大ヒットしました。癒しという意味でAORに入れさせていただきました。


○ ビル・ラバウンティ 「This Night Won't Last Forever」(78年)タイトル曲が一発屋のヒットでしたが、

AORとしての存在感は今もインパクトとして残っています。82年の「Bill Labounty」も名盤ですね。「Liv

ing It Up」必聴です。





○ ビル・チャンプリン 「Runaway」(80年)元シカゴに在籍していたAOR界の重鎮の一人です。D・

フォスターとともにアース、ウィンド&ファイヤーの「After The Love Has Gone」の作曲にも参加。78年の

1stアルバム「Single」もそうですが、D・フォスターのプロデュース、TOTOのメンバーのレコーディングによ

るAOR屈指の名盤となっています。


ソロ・アーティストは思いつくままに書き並べました。まだまだいいアーティストがいたと思いますが、今日はこ

のへんで。

次回PART3はグループ編ということで、ご紹介を。















2012/05/16 Wed. 16:08 | trackback: 0 | comment: 0edit

AOR覚書 〜ソロ・アーティスト編 PART 1 

今回はAORについてのおさらいです。AORという言葉はすでに現代では

死語になっておりますが、いつ誰がそう名付けたのか、僕らの世代ではアダ

ルト・オリエンテッド・ロックという呼び方で定着していました。今のカテゴ

リーでいうと海外で呼ばれるところのアダルト・コンテンポラリーですかね。


AORの起源というのはよくわからないですが、一応取り決めるとするなら、

僕のブログ内でも取り上げたジョニー・ブリストルが1974年にプロデュ

ースしたボズ・スキャッグスのアルバム「スローダンサー」がサウンド的に

当てはまっているのではないかと思います。その後75年にアルバム「Art Of

Tea」でマイケル・フランクスが出てきて、フュージョン系(今でいうところの

スムーズ・ジャズ)では75年にアル・ジャロウがでてきたわけで、やはり70

年代半ばから拡がっていた音楽スタイルでしょうか。


個人的な見解からいえば、ひとこと、心地よさを提供する音楽ですかね。日本の

ミュージシャンでいうところのMOR(ミドル・オブ・ザ・ロード)といいます

か、派手にヒットチャートを賑わせるんじゃなくチャートの50位〜100位あ

たりにとどまるような(笑)、ハードかソフトかというとソフトロック寄りの、

その一貫したスタイルにある種のマニアック性も感じられる音楽ですね。だから

AORはウォーミーなサウンドでありながら、実は大衆全般に溶け込みにくい性

質も持っています。都会的で洗練されたサウンドという形容詞は聴けばわかりま

すが、たとえば立ち飲みスタンドや和風居酒屋、パチンコ屋、クラブ(ダンスの

方ね)、雀荘などには似合わない、場所を選ぶ特殊な音楽でもあるんですね。ポ

ップ・ミュージックとは違うここち良い音楽。だから、BGMとしては最高のサ

ウンドでありながら、実はヘッドホンで聴くこともオススメなんですね.


日本でAORがブレイクし始めたのは1970年代後半からでしょうか。ボズ・

スキャッグスの「スローダンサー」が74年ですから、その頃はまだAORとい

う言葉もなかったんですが、僕の場合は1978年のドゥービー・ブラザーズの

アルバム「ミニット・バイ・ミニット」からですかね。<マイ・ブログ内Doobie

Brothers「Minute By Minute」参照>当時中学2年生でしたが、骨太なアメリカ

ン・ロック・バンドのサウンドが変化したという意味では、そこにマイケル・マ

クドナルドの存在があったことを知りました。これはメジャーアルバムとなりま

したが、本来のAOR系のアーティストはまだよくわからなかったんですね、中

学生のガキにはまだ受け付けられない感性の未熟さがあったんでしょうか。


1980年に田中康夫氏の小説「なんとなくクリスタル」が流行し、そこにAOR

ミュージックが表現されていました。(エアプレイ、ポール・デイヴィス、ケニー

・ランキン、マイケル・フランクス、ケニー・ロギンス、スティーブン・ビショッ

プなど出てきます。)小説がかとうかずこ主演で映画化された時の主題歌はポール

・デイヴィスの「アイ・ゴー・クレイジー」でした。この頃インストゥルメンタル

主体のフュージョン系もAORとしてとらえられるようになりましたが、ここでは

ボーカル・スタイルのAORを中心にメジャー・マイナー問わずアルバム紹介して

いきましょう。


○ JD サウザー 「You're Only Lonely」(79年)シングルともに全米No.1ヒ

ットのメジャー作品、イーグルスやリンダ・ロンシュタットとも親交が深く、ウェス

ト・コースト・サウンドにおけるAORの金字塔アルバムです。


○ ジェームズ・テイラー 「Gorilla」(75年)この人はAORのミュージシャン

ではないですが、このアルバムがAOR的名盤ということで。


○ カーラ・ボノフ 「Restless Nights」(79年)ジェームズ・テイラーも参加し

た名盤。ひっそりと聴かせる「The Water Is Wide」は今やスタンダードです。





○ ボズ・スキャッグス 「Slow Dancer」(74年)、「Silk Degrees」

(76年)、「Middle man」(80年)、ご存知、ミスターAOR。


○ アル・ジャロウ 「We're In This Love Together」(81年)アル・ジャロウと

いえば「mornin'」(83年)<デビッド・フォスターが絡んでいる>なんですが僕は

あえてこの曲、大好きですね。





○ クリストファー・クロス 「Christopher Cross」(79年)邦題:「南から来た男」

説明不要、AORの傑作アルバムです。


○ ニック・デカロ 「Italian Graffiti」(74年)この人もボズ・スキャッグスと同様

AORの幕開けに一役買った人。プロデュースはトミー・リピューマ。トミー・リピューマ

は76年にもフュージョン系AORの名曲である、ジョージ・ベンソンの「Breezin' 」も

手がけています。





○ ネッド・ドヒニー 「Ned Doheny」(73年)、「Hard Candy」(76年)この人もJ・

テイラーのようなアコーステック・ソフト・サウンドなんですが、AORの黎明期のシンガー

として位置づけられた人ですね。ギターにスティーブ・クロッパーも参加した「Hard Candy」

はソウル色も加わった名盤です。


○ ダン・フォーゲルバーグ 「Phoenix」(79年)この人もJ・テイラーのようなフォーク

・ソフト・ロック・シンガー・ソングライターですね。日本でもヒットしました。


○ マイケル・フランクス 「Sleeping Gypsy」(77年)この人を聞いてボサノヴァのかっこ

よさを知りました。名曲「Antonio's Song」収録のアルバムです。


○ ロビー・デュプリー 「Robbie Dupree」(80年)ヒット曲「Steal Away」収録で、ビル・

ラバウンティが参加しています。


○ ビル・ラバウンティ 「This Night Won't Last Forever」(78年)の一発屋AORミュー

ジシャンですが、AORファンには根強い人気の一枚です。


○ ボビー・コールドウェル 「Evening Scandal」(78年)<このブログ内でも取り上げまし

たね。AORの入門的名盤です。89年に「Heart Of Mine」で復活をみせた時は驚きました。い

い曲を書くソングライターですね。


○ ゲイリー・ベンソン 「Moonlight Walking」(80年)今日は実はこの人を紹介したしたか

ったのですが、何とイギリス人のミュージシャンなんですね。英国人が放つAORでも、アメリカ

的ですね。知る人ぞ知る名曲です。73年にデビュー、75年に「Don't Throw It All Away」で

シングルヒットが生まれています。





次回、ソロ・アーティスト編PART2に続きます。








2012/05/15 Tue. 14:57 | trackback: 0 | comment: 0edit

大瀧詠一特集 「NIAGARA MOON」 

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SIDE-A


1 ナイアガラ・ムーン

2 三文ソング

3 論寒牛男

4 ロックンロール・マーチ

5 ハンド・クラッピング・ルンバ

6 恋はメレンゲ


SIDE-B

1 福生ストラット(パート2)

8. シャックリ・ママさん

9. 楽しい夜更し

10. 君に夢中

11. CIDER’73’74’75

12. ナイアガラ・ムーンがまた輝けば


大瀧詠一、1975年にエレック・レコードから発表された自身2枚目のアルバム

「ナイアガラ・ムーン」です。


1973年にはっぴいえんどとしては3枚目にして最後のアルバム「HAPPY END」

をLAで録音後リリースしたのちに、その年の9月に解散コンサートを行います。

アメリカから帰ってきた途端に事実上ソロ・ミュージシャンとなった大瀧に一本

のCMの仕事が舞い込んできます。それが「サイダー’73」となるわけですが、

この頃すでにナイアガラ・レーベルの構想は出来上がっていたものの、CMソン

グのレコードなんてどこのレコード会社も乗らなかったので、はっぴいえんど解

散後の本当の意味でのソロとしての第一歩は「サイダー」ということになります。


三ツ矢サイダーのCMを機にCM音楽を中心として活動しながら、(サイダーは

73年〜77年まで続きます。76年だけは山下達郎が担当)この期間シュガー

・ベイブとの出会いを経て、ようやく自らのレーベルを立ち上げることになります。

レコード会社がエレックだったのは当時どこの会社もCM音楽のレコード化には

厳しい回答しか出なかったのが、エレック・レコードだけは話に乗ってきたという。

エレックもURCやベルウッドと同じインディーズ・レーベルですが、そんな弱小

レーベルと契約してまでもCMにこだわり抜いたということになりますね。


そうやってナイアガラ・レーベルとしての第一弾がシュガー・ベイブの「ソングス」

(75年)になります。74年に自身のプライベート・スタジオである福生45ス

タジオを造り、ナイアガラ・サウンドをそこからスタートさせたわけですね。はっぴ

いえんどやファースト・ソロの時はあくまでも60年代の洋楽をベースに自らの音楽

の模索と確認作業行ってきたことでしたが、ナイアガラでは60年代ポップスだけで

なく、50年代のニューオリンズやラテン音楽まで発展させて、それはその後細野晴

臣が目指した神秘的な音楽とは異なり、実証的な音楽を目指したと言えます。

十代の頃に触れたクレイジー・キャッツの要素を盛り込み、言葉遊びの歌詞に徹する

ことで、音楽の本質(サウンドの重要性)を浮かび上がらせたのではないでしょうか。


アルバム「ナイアガラ・ムーン」は福生45スタジオの幕開けとともに、基本的にスタジ

オ・セッション形式でレコーディングされ、ベーシックなロックンロールの3コードパ

ターンでどれだけやれるかという、全編メジャーコードで作られたある種実験的な音楽

でもありますが、前述したとおり取り立てて新しい試みをやっているわけでなく、ロッ

クンロールやマーチ、ルンバ、ラグタイムなど古典的リズムパターンを大瀧流に表現し

たものであります。


滝のSEとリズムボックスで始まるオープニングの「ナイアガラ・ムーン」はストリング

ス・アレンジに山下達郎が起用されています。続いて「三文ソング」は「三文オペラ」

からのイマージュで、冒頭から山下達郎の笑い声の一片が微かに聞こえる(わざとか?)

んですが、テンポのいい曲で僕にとって好きな一曲でもあります。コーラスの部分で達郎

の声が入っているような気がするんですが、正確には入っていないようですね。

「論寒牛男」と書いてロンサム・カウボーイという大瀧流のタイトルのつけ方もここに表

れていますが、この曲は大瀧師匠が愛してやまないプレスリー調のロカビリー炸裂という

感じですね。鈴木茂の速弾きギターもイカしています。

「ロックンロール・マーチ」はニューオリンズ・スタイルのセカンド・ラインと呼ばれる

ドラミングで進行していきます。タイコは林立夫が叩いています。

「ハンド・クラッピング・ルンバ」は大瀧お得意のノベルティー・ソング。ルンバのリズム

に合わせて語呂合わせの言葉遊び的歌詞に溢れています。

「恋はメレンゲ」のイマージュはイーディ・ゴーメの「恋のボサノヴァ」ですね。ラテンの

リズムであるメレンゲというパターンをこの曲で初めて知りました。この曲は後に大瀧プロ

デュースによるシリア・ポールのカバーで蘇ることになります。

「福生ストラット(パート2)」はノリのいいセッションの中で生まれた大瀧ファンクですね。

かっこいい曲です。ウルフルズが「大阪ストラット」としてカバーしたのは有名です。(ウ

ルフルズのプロデューサーは伊藤銀次なんですよね。)ストラットという言葉はおそらくヤ

ング・ホルト&リミテッドの「ソウルフル・ストラット」から来ているのでしょうか。ちなみ

に「ソウルフル・ストラット」(69年)は僕の人生の一曲なんですよね〜。ストラットとい

うのは大げさに歩くという意味だそうです。





「君に夢中」はアカペラ・ソングですね。バック・コーラスは「グッドナイト・ベイビー」で

おなじみのキングトーンズ。「恋はメレンゲ」でもキングトーンズが参加しています。実はこ

の曲シチズンのCMソングで、水谷豊がひたすら鉄棒で懸垂をやる映像でした。「CIDER’73’

74’75’」は三ツ矢サイダーのCM曲。73は秋吉久美子がCMモデルでした。80年の「ロ

ンバケ」に通じる美しいポップス・センスが「Cider74'」に垣間見ることができます。73年

版サイダーですでにフィル・スペクターを意識した分厚いコーラスを作り上げていました。コ

ーラス隊はシンガーズ・スリーとシュガー・ベイブです。





僕の所有するアルバムは1981年のCBSソニーから再発されたアルバムです。エレック盤、

コロムビア盤ともに裏側のジャケット写真が違っています。


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レコーディング・エンジニア:笛吹銅次(大瀧)

アレンジ:多羅尾伴内(大瀧)


ドラムス:林立夫、上原裕

ベース:細野晴臣、田中章弘、寺尾次郎

ギター:鈴木茂、伊藤銀次、村松邦男

ピアノ:佐藤博、松任谷正隆

ペダル・スティール:駒沢裕城

テナー・サックス:稲垣次郎、荒川達彦、村岡健

バリトン・サックス:砂原俊三

アルト・サックス:岡崎資夫

クラリネット:清水万紀夫

コーラス:キンングトーンズ、山下達郎、大貫妙子、


参考資料:「ALL ABOUT NIAGARA」大瀧詠一(八曜社)

     「ミュージック・ステディ」<1984年5月号・MUSICIAN FILE徹底研究、大瀧詠一>
     (ステディ出版)

     「日本ロック&フォークアルバム大全1968−1979」(音楽之友社)
     



2012/05/13 Sun. 19:11 | trackback: 0 | comment: 0edit

ジャパニーズ・ポップスの検証 27 〜作詞家・なかにし礼と阿久悠 

1960年代から日本の音楽が多様化するにつれ、作曲家と同様に作詞家もまた

大きな変遷の中で新たな流れを生み出していきます。


戦前の作詞家の第一人者でいえば、西条八十やその弟子のサトウハチローという

ことになりますが、作詞家という職業の前に詩人として活躍していたわけで、流

行歌におけるレコード会社専属の作詞家というとその次の世代である、藤浦洸や

丘灯至夫、佐伯孝夫、石本美由紀などが挙げられますが、60年代に入るといわ

ゆるフリーの職業作家としての作詞家が主流となり、演歌からポップスまで幅広

いジャンルを網羅するべく作詞家が登場します。


岩谷時子は越路吹雪のマネジャーをしながら、シャンソンの作詞でデビュー、代表

作に「恋のバカンス」(ザ・ピーナッツ)、「ウナ・セラ・ディ東京」(ザ・ピー

ナッツ)、「夜明けのうた」(岸洋子)、「君といつまでも」(加山雄三)、「恋

の季節」(ピンキーとキラーズ)、「いいじゃないの幸せならば」(佐良直美)、

「おまえに」(フランク永井)など多くのヒット作を生みだしました。いずみたく

とのコンビが特に好きでしたね。





昭和の歌謡界において著名な作詞家を挙げるとするなら、一人はなかにし礼、もう

一人は残念ながら故人となった阿久悠氏でしょうか。


なかにし礼は1938年に満州で生まれ、立教大学在学中に石原裕次郎と出会い、

作詞をすすめられたことから作家としてデビューに至ります。ヒット作は膨大な数

となりますが、代表作を挙げますと、「恋のフーガ」(ザ・ピーナッツ)、「今日で

お別れ」(菅原洋一)、「雨がやんだら」(朝丘雪路)、「あなたならどうする」(

いしだあゆみ)、「恋の奴隷」(奥村チヨ)、「石狩挽歌」(北原ミレイ)、「時に

は娼婦のように」(黒沢年男)、「エメラルドの伝説」(ザ・テンプターズ)、「フィ

ーリング」(ハイ・ファイ・セット)、「人形の家」(弘田三枝子)<年代順不同>

などでしょうか。僕は全て歌える世代ですが、特に76年のハイ・ファイ・セットの

「フィーリング」に思い入れがありますね。





阿久悠は1937年、淡路島に生まれ、明治大学卒業後にコピーライター、放送作家

として活躍、1964年にモップスの「朝まで待てない」で作詞家としてのデビュー

を飾りました。70年代に入るとアイドル歌謡曲も数多く手がけ、特にピンクレディー

の一連のヒット曲を手がけていましたね。膨大な数の作品の中から代表作をピック・ア

ップすると、「みずいろの手紙」(あべ静江)、「津軽海峡・冬景色」(石川さゆり)、

「ロマンス」(岩崎宏美)、「たそがれマイ・ラブ」(大橋純子)、「また逢う日まで」

(尾崎紀世彦)、「ざんげの値打ちもない」(北原ミレイ)、「林檎殺人事件」(郷ひろ

み&樹木希林)、「熱き心に」(小林旭)・・・・などなど枚挙に暇がないほどの作品が

あります。子供の頃、尾崎紀世彦が好きでしたので、特に阿久悠作品の「さよならをも

う一度」(71年)に思い入れがありました。2004年に日経新聞で「私の履歴書」が

掲載されて、氏の生き方を学んだこともありました。残念ながら2007年にお亡くなり

になりましたが、まぎれもなく昭和を代表する作詞家の一人でしたね。この人の手によっ

てどれだけのアイドル歌手が育っていったのでしょうか。





1970年のヒット曲

白い蝶のサンバ(森山加代子)[作詞:阿久悠]

竹田の子守唄(赤い鳥)

恋狂い(奥村チヨ)[作詞:なかにし礼]

あなたならどうする(いしだあゆみ)[作詞:なかにし礼]

圭子の夢は夜ひらく(藤圭子)

希望(岸洋子)

四つのお願い(ちあきなおみ)

経験(辺見マリ)

くやしいけれど幸せよ(奥村チヨ)

京都の恋(渚ゆう子)

笑って許して(和田アキ子)[作詞:阿久悠]

男と女のお話(日吉ミミ)

手紙(由紀さおり)[作詞:なかにし礼]

走れコウタロー(ソルティー・シュガー)

黄色いサクランボ(ゴールデン・ハーフ)

雨がやんだら(朝丘雪路)[作詞:なかにし礼]

ざんげの値打ちもない(北原ミレイ)[作詞:阿久悠]

誰もいない海(トワ・エ・モア)

知床旅情(加藤登紀子)


2012/05/11 Fri. 20:49 | trackback: 0 | comment: 0edit

AVARAGE WHITE BAND 「SHINE」 

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SIDE-A

1 OUR TIME HAS COME

2 FOR, YOU FOR LOVE

3 LET'S DO ROUND AGAIN

4 WHATCHA' GONNA DO FOR ME

5 INTO THE NIGHT

SIDE-B

1 CATCH ME

2 HELP IS ON THE WAY

3 IF LOVE ONLY LASTS FOR ONE NIGHT

4 SHINE

5 INTO THE NITE (REPRISE)


今日はAORの名盤1枚です。1980年にアヴェレージ・ホワイト・バンドが発表した

「SHINE」ですね。アヴェレージ・ホワイト・バンドはファンク・バンドなんですが、この

アルバムはデヴィッド・フォスターがプロデュースを手がけているので、やはりAORに

なっちゃいますね。


アヴェレージ・ホワイト・バンドは1972年にスコットランドで結成、メンバーはアラン

・ゴーリー(ボーカル、ベース)、マルコム・ダンカン(テナー・サックス)、オニー・マ

ッキンタイル(ギター)、マイケル・ローゼン(トランペット)、ロジャー・ボール(キー

ボード、アルト・サックス)、ロビー・マッキントッシュ(ドラムス)、そしてハミッシュ

・スチュワート(ボーカル、ギター)で、(途中ロビー・マッキントッシュから、バンドの

中でただ一人の黒人ドラマーであるスティーブ・フェローンが参加)マッキントッシュとマ

ッキンタイルはセッション・ミュージシャンとして、1972年にチャック・ベリーの「My

Ding-a-Ling」に参加しています。


1973年にエリック・クラプトンのカムバック・コンサートのサポートバンドとして活躍、

MCAレコードからデビュー・アルバム「Show Your Hand 」をリリースします。74年にク

ラプトンのツアー・マネージャーがパイプ役となり、彼らはロサンゼルスに渡り、アトランテ

ィック・レーベルと契約、アルバム「AWB」を発表します。プロデューサーにアリフ・マーディ

ンを迎え、(ビージーズ、ロバータ・フラック、フィル・コリンズ、アレサ・フランクリン、

チャカ・カーンを手がけた名プロデューサー)見事US・アルバムチャート1位及びゴールド・

ディスクを獲得、アルバムからシングル・カットされたインストゥルメンタル曲の「Pick Up

he Pieces」はUS・ポップチャート1位を記録しました。ただ、この曲ジェームス・ブラウン

のバッキング・グループ、JB's「Hot Pants Road」のベースラインに似ていることから、J

Bの怒りを買い、A.A.B.B名義(Above Average Black Bandの略)で「Pick Up The Pieces One

By One」のアンサー・リリースというちょっとした騒動に発展しました。





その頃、ドラムスのロビー・マッキントッシュがヘロインの過剰摂取により急死、その後釜と

してスティーブが加わることになります。その後は「Cut the Cake 」(75年)、「Soul Searc

hing」(76年)など精力作を次々に発表、ウェストコースト系・ホワイト・ファンクの基盤を

固め、77年にはベン・E・キングとのコラボレーション作「Benny & Us」をリリースしています。


本作は70年代後半から陰りが見え始めたAWBの後期に発表されたアルバムで、折しもディスコ

ブームに乗った感のある「Let's Go Round Again」が収録されています。(UKチャート12位)

白人のそれもスコットランド出身のミュージシャンがソウル&ファンクをやるという意味ではアメリ

カよりもUKや日本に支持されたバンドになってしまったという気がしますね。当時、日本ではAO

Rブームで、プロデューサーがデヴィッド・フォスターですからね。日本でもそこそこ売れたんじゃ

ないかと思います。ソングライティングのほとんどはアラン・ゴーリーとハミッシュ・スチュワート

です。

のっけから爽やかなナンバー、「OUR TIME HAS COME」。うーんやはり僕のとってのベストトラック

であるこの曲はアランとハミッシュのソングライティングによるもの。当時のウェスト・コースト・

サウンドの典型みたいな音ですね。





「FOR, YOU FOR LOVE」はスローでメロウな美しいナンバー、これも好きな曲です。作曲はビル・チャ

ンプリンで、AOR色満載です。





AOR系ミュージシャンであるネッド・ドヒニーの楽曲である「WHATCHA' GONNA DO FOR ME」はチャカ

・カーンのカバーで有名ですね。日本では佐藤竹善が95年のアルバム「CORNERSTONES」の中でカバー

しています。ネッド・ドヒニーは「SHINE」にもソングライティングに加わっています。


バンドは82年に解散後、89年に再結成し、現在でも活躍中ですね。


ゲストミュージシャン:

デヴィッド・フォスター :キーボード

ポリーニョ・ダ・コスタ:パーカッション

ブレンダ・ラッセル:バックグラウンド・ボーカル


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2012/05/10 Thu. 12:25 | trackback: 0 | comment: 0edit